メジャーリーグ(MLB)や日本プロ野球では、多くの偉大な打者が現れています。史上最強の打者や最高のホームラン王・首位打者は誰なのか、動画とともに紹介します。
史上最高打者は誰?最高のホームラン王や首位打者は?
メジャーリーグ (MLB)
ベーブ・ルース
野球に「ホームラン・本塁打」という概念を、真の意味で持ち込んだ黎明期のスーパーヒーローです。
1927年に記録した60本塁打は、1961年にロジャー・マリスによって塗り替えられるまで、34年もの間最高記録であり続けています。
ステロイドを利用していない打者で、ルースよりも多くのシーズン本塁打を記録したのは、100年近く経った今でも、ロジャー・マリスただ一人です。
<ベーブ・ルースの60号>
<マリスの61号>
ルースは三冠王になることはできず、打率.400も記録することはありませんでした。
本人の弁を借りれば、「誰が俺のヒットを見たいんだ?ホームランを見たいんだろ?」という考え方だったからです。
彼のシーズン最高打率は.393だったので、狙いさえすれば.400はおそらく可能だったでしょう。
テッド・ウィリアムズ
ルース引退後に、ジョー・ディマジオとともに時代を牽引した大打者がテッド・ウィリアムズでした。
彼は、史上二人しかいない「2度の三冠王」を果たしたばかりか、1941年には.打率.400を記録しています。
彼の後に4割を打った打者はまだ誰もないので、今も「最後の4割打者」として語り継がれています。
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ハンク・アーロン
ベーブ・ルースの「714本」という途方も無い通算本塁打記録は、長く近く打者さえいない状況でした。
ところがアーロンは、毎年コツコツと本塁打を積み重ね、ついに1974年に715号を放ちます。
最終的にアーロンは、755本まで本塁打を積み重ねました。
通算本塁打記録は、バリー・ボンズによって塗り替えられましたが、通算打点2297は、今もメジャー最高記録として残っています。
ケン・グリフィーJr.
ステロイド全盛の1990年代に、ステロイドの力を借りることなく本塁打を放ち続けたスーパーヒーローです。
シーズン本塁打は56本(2度)が最高にとどまっていますが、今も多くのファンに愛され続けている選手です。
トニー・グウィン
安打製造機という表現が最もふさわしい打者で、首位打者を8度も獲得しているという超人的打者です。
どこへ投げても打たれる感満載です。
イチロー
メジャーへ挑戦した日本人打者で、最高の成績を収めたといっても過言では無いでしょう。
シーズン262安打や10年連続200本安打など、「安打に関する主な記録」にはほぼ彼の名前があります。
マーク・マグワイア
ステロイドの力を借りて達成した記録ではありますが、70号という途方も無い本塁打記録を打ち立てました。
バリー・ボンズ
マグワイアと同じくステロイドの力を借りて成し遂げた記録ですが、威圧感という意味ではマグワイアを凌ぐ凄まじさがありました。
この映像の冒頭のホームランでもアナウンサーが言っていますが、「敵地の球場のファンを黙らせて・拍手をさせる」ほどの迫力がありました。
ステロイドによる記録ではありますが、通算762本もの本塁打を放ったのはボンズただ一人です。
日本プロ野球
長嶋茂雄
日本プロ野球黎明期のスーパーヒーローです。
捉えどころのない天性のキャラクターもあいまって、日本プロ野球史上最高の打者という評価をするファンもいます。
王貞治
日本プロ野球最強打者の名をほしいままにした大打者で、868本もの本塁打は、ジョッシュ・ギブソンの非公式記録以外には、並ぶ打者がいないほどの凄まじさです。
13年連続でホームラン王を獲得するなど、おそらく彼を凌ぐ打者は日本で現れることはないとも言われています。
落合博満
史上唯一の「三度の三冠王」に輝いた大打者で、監督としても成功した数少ない方です。
長いものに巻かれない「オレ流」の姿勢は、ファンの間で高い人気を誇っています。
ちなみにご本人の弁を借りると、「三冠王はあと2回は獲れた」そうです。
おそらく1989年(.321 40本 116打点)と1991年(.340 37本 91打点)のことを言っているんだと思います。
ランディ・バース
活躍した期間は短かったですが、今も阪神ファンの間では誰もが「史上最強の助っ人」と評価しています。
掛布雅之
王貞治の後に颯爽と登場したホームランキングです。
ただ、1986年のデッドボールがきっかけで故障してしまい、全盛期は短かったのが名残惜しいです。
通算成績の面では顕著な成績は残していませんが、彼の「逆方向へのホームラン」はもはや芸術といっても過言ではないでしょう。
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